他人の幸せの形を勝手に決めない〜ジェーン・スーさんが教えてくれたこと〜

2024年2月3日、松山市男女共同参画センターコムズにてジェーン・スーさんの講演がありました。

テーマは「ちょうどいい」を見つけよう。

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「ちょうどいい」とは何か⁉︎すごく考えさせられながらも、スーさん節全開でめちゃくちゃ楽しい時間になりました。

※途中、ジェーン・スーさんの言葉と、私の考えがミックスされている箇所があるかもしれません。ご了承ください。詳しくは、スーさんご本人の著書やラジオ、講演などを聞いてくださいね〜。

「私はこのくらいでちょうどいい」としてしまう心理

まず最初に「ちょうどいい」の因数分解をしてくださったスーさん。

「ちょうどいい」とは何か?

それは、快適でいられるということ、
つまり、居場所があるということと定義されました。

・そこにいても良いと感じられる
・心を休めたり活躍できる環境
・必要とされている、役に立っていると感じられる

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例えば、車椅子の人がいたとします。
車椅子の人が通れる道やトイレがなく、誰も手助けしてくれなかったとしたら…「ここには、自分の居場所がない」と思ってしまいますよね。

スーさんは、こうとも言いました。

スーさん

ちょうどよくないものも「私はこのくらいでちょうどいい」としちゃう人もいる

先程の車椅子の件もそうです。

「車椅子だと生きづらいのは当たり前。しょうがない」って思ってしまう。

さらには、「こんな私でごめんなさい」ってなってしまう…それってめちゃくちゃつらい。

別のケースも出します。ずっと第三者から「アンタはダメだ」と言われ続けたとします。

そうすると、最初は反発してたとしてもだんだん「そっか、私はダメな人間なんだ」ってなってしまうかもしれません。

そして、「こんな私が、こんなこと望んではいけない。このぐらいがお似合いだ。」と思ってしまうのです。

「心理的安全性」という言葉がありますが、安心した環境じゃないと、本来の自分の能力を発揮するのが難しくなるんです。


そして、さらにスーさんは

スーさん

自分自身を受け入れていない人を、他者が受け入れるのは難しい

と言われました。

これ、めっちゃドキーンとしました。

私は、手帳の活動をしていますが、それは、自己肯定感が低い人がどうしても気になるから…なんです。なぜなら、私が元・自己肯定感バリバリ低い人だったから。

みんなが、自分自身を受け入れて生きていけたらいいなって思っているのです。


しかし!!

しかししかし!!!!

何を言っても「私なんて」とか「でも、でも、だって」って言いまくってる人と一緒にいると、こっちがしんどくなってしまいますよね。

「もう、頼むから!自分の価値を信じてくれぇ〜〜〜!!!」って。

(これ、過去の私なんですが…笑)

なるほど、私が今やってる手帳の活動は、まずは「自分で自分を受け入れること」をやっていくためのものなのかもしれない。

そこは、人に埋めてもらうのではなく、自分でやらないといけない部分な気がしてきたのでした。

これだけやっていれば大丈夫!な、ロールモデルはいない

今は多様性と言われる時代です。
ロールモデルって…実はいないんですよね〜。

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せいかつ編集カレンダー1/5のテーマ

自分で考えて、自分で決めることが求められています。

これが、なかなか難しい。

スーさんの説明が面白すぎて、めっちゃ笑ってしまったのですが…

歴史上の偉人と言われる女性達…ヘレンケラーやキュリー夫人、ナイチンゲール、マザーテレサetc…

この方達の素晴らしいと言われている部分を取り出してみると

自己犠牲、努力、無償の愛、自己献身、出しゃばらない、忍耐etc…

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もちろん、個々の働きは素晴らしいのですが、それに対して「女性のあるべき姿」というのが植え付けられているのでは…という仮説に激しく頷きました。

キュリー夫人なんて、「夫人」ってついてますからね!!!夫あっての自分…みたいな名前。

なぜ、「マリ・キュリー」じゃダメだったのか?と話されてましたが、たーしーかーにーーー!!!

自分で決められない人が伸ばせるのは「サポート能力」のみ

世の中の定める「普通」とは、ある程度の幸せを約束してくれる形。

結婚して…子どもは二人、子育て中は仕事をセーブして、子育てが落ち着いたらパートに少し出て…

このスタイルがもう古い、そもそも「普通」なんてないっていうのは、現代の人は十分理解しているかと思います。

ただ、ずっと世間が求める役割としての「らしさ」(母らしさ、女らしさ、男らしさetc…)を強要されてきた人は、自分の人生なのに、自分で決められないという人が多いのも事実です。

誰かに従って、支えることを中心に生きてきた人が伸ばせるのは、「サポート能力」のみ

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この言葉にも、ガツーーーンときました。


私も、以前は「サポート」「応援」のプロとして自分を売っていました(笑)


もちろん、サポートが得意というのは事実。

でも、やっぱり今の時代、それだけをメインにしていてはいけないって思うんです。


サポートもしつつ、自分のこともちゃんとやる。

流されるのが好きだとしても
「私は私の意思で流されてるぅ〜」って自覚を持ってやっていくことが大事なのかもしれない。

他人の幸せの形を勝手に決めない

快適=自分らしさと定義すると、

「自分らしくあっても、疎外感を持たずに済む」社会になったらいいですよね。

そのために必要なのは

・幸せの形を他者に決めさせない
・他者の幸せの形を勝手に決めない
・選択肢が複数ある社会にすること

我が家は、先天性疾患のある娘をケアするため、家族の形をカスタマイズしながら生きて行っています。

ある意味私は、「幸せの形を他者に決めさせない」ことを一生懸命やってきました。

だからこそ…
逆に他者に厳しいというか

「それで本当に幸せなのかぁ?オラァァァ!!!もっと世の中疑っていこーぜぇ!!!」となってしまう自分もいると自覚しています。

それって、余計なお世話というか

他社の幸せの形を勝手に決めているってことだと思うんですよね。

私には私の幸せの形がある。
しかし、それはみんなに当てはまるとは限らない。

そのことを肝に銘じていこう…と思うことができました。


モヤモヤの原因を考え続ける

スーさんは、社会のなんとなくのムードに飲まれず、自分の生き方を発信して、たくさん人を勇気づけ、牽引されている方です。

そのことを「モヤモヤの原因を考え続けたから」と言われていて、すごく勇気づけられました。

私は、なんでもかんでも、すぐに「考え」ます。

「そんなに考えなくても…」と言われるぐらい考えるんです。

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でも、なんだかその癖を肯定された気持ちになりました(勝手に)!

私は私にとっての幸せを追い求める。
そして、他の人にもその人にとっての幸せの形がある。

地球に生きるどんな人にとっても「ちょうどいい」が見つかる世界になったらいいなと思いました。

スーさん、愛媛に来てくれてありがとうございます。

そして、呼んでくださったコムズさん!!!!
素晴らしい時間をありがとうございました。