もう一年以上前になりますが、大阪平野にある「全興寺(せんこうじ)」に行って来ました。
天才サロンメンバーであり、お友達のcozmiさんのご主人・久遠さんが副住職をされているから…というのがきっかけだったのですが、私はここですごい気づきを得ることになったのでした。
坊主とは…ライフスタイル⁉︎
全興寺の住職は、久遠さんのお父さん。
つまり、久遠さんのお家は代々お寺さんでした。
久遠さんは、子どもの頃から「お寺の子」と見られてましたし、「当然跡を継ぐ」ものだと思われていて、その歴史を重く感じていたそうです。
そんな久遠さんが、坊主になると決めたのは坊主とは…職業ではなくライフスタイルだと気づいたから。
久遠さんは、ヤクザ映画が大好きでした。ヤクザのことを「極道」って言いますよね。
ヤクザも職業じゃなくて、ライフスタイル。
ライフスタイルにしてまで、その道を極めたいってこと…(多分)。
そもそも「極道」って本来は仏教用語なんです。
【極道(ごくどう)】本来仏教用語で仏法の道を極めた者という意味であり、高僧に対し極道者(ごくどうしゃ)と称し肯定的な意味を指すものである。
Wikipedia
これに気づいた久遠さんは、修行に行ってから考えよう…と、修行に出て、今に至ります。
修行の話(山伏の話)もめちゃくちゃ楽しくて…また改めて取材させてもらいたいほど。
この日、録音してなかったのが本当に悔やまれます。
(今日の記事は当時のメモと、天才サロンの音声配信から思い出しながら書いています)
私はモヤモヤノートを極めていいのか?
全興寺のお参りを終えて…、私が当時一番気になっていたことを思い切って久遠さんに尋ねてみました。
私は「モヤモヤノート」という、自分の本音や欲望を書き出すノートをたくさんの人に薦めています。
書くことは楽しいし、スッキリする。
しかし、私はときおり罪悪感に苛まれることがあるんです。
例えば、
Aさんのことを書き殴って、すっきりする
↓
Aさんとニコニコ接することができる
こういうことができてしまう自分を「八方美人だ」と責めたくなってしまう。
そもそも、私の感覚だと
宗教=欲をなくすために修行する
というイメージ。
悪口を書くのは、欲の一つ。
こういうことを、推進していいのか⁉︎
という、疑問があったのです。
そんな私の疑問に対して、久遠さんはこんな風に答えてくれました。
全興寺は真言宗なのですが、他の宗教と違うこのがあります。それは、欲が浮かんできたら、消そう、なくそうとするのではなく、プラスに生かそう、よい方向に生かそうということです。
真言宗の教えには、「小欲」と「大欲」というものがあります。
「小欲」とは、自分のことだけを考えた欲。「大欲」とは、自分も他人も幸せにする欲。
だから、「欲を大きくしていこう」という考えがあるそうです。
戻るためのノート
とはいえ、小欲だらけの私。
モヤモヤノートにも、小さな欲がたくさん出てきます。
そんな時どうすればいいのか…?
久遠さんは「そういうときは、戻ればいいですよね」と言いました。
一度、修行してお釈迦さまの教えを学んだとして、それでも出てくる小欲。
そんな時は、戻ればいい。
私は、ノートを書いている時に…とくに、感謝ワークをしているときに「戻る」感覚があるんです。
モヤモヤノートでいったん書き切る→感謝ワークをする…というのが、私のなかのベストルーティン。
いったん懺悔する→戻る
というのが、私にとって気持ちよいことなんだ…と、気がついたのです。
うちの近くに、とっても気持ちの良い神社があるのですが…そこの宮司さんにこう尋ねたことがあります。
神社でお願い事を言いますよね?それっていいんですか?欲を伝えていいんですか?
すると宮司さん、こう答えました。
「神様の前でだけでも本心を言うことができて、心が軽くなったら…それでいいんじゃないですかね」
この世はきっと、優しいです。
どんな気持ちも受け入れてくれる。
いくら「良いこと」を言ったって、
自分だけは自分が何を感じていたかを知っている(笑)
自身に嘘をつかず、アウトプットして軽くする。
その繰り返しでいいんだ!
私たちはゆるされている。
ともかく私は、久遠さんに会って
「ノートの極道」になろうと決めました。
ノートはライフスタイル。
何かを教えるとか、伝えたいとか、何かを発見したい…というより、私の生き方なのです。
「書くこと」で人生を編集したい。
ここ最近、「なぜ私はノート術を伝えたいんだろう…そもそも教える立場なのか!?」とモヤモヤしていたのですが、1年前の久遠さんのこの言葉に助けられました。
しっくりくる言葉って、自分を助けてくれますよね。
思う存分、ノートの極道やっていこうと思います。