市議会議員いけだみえさんと、松山市の子育てに関してざっくばらんにおしゃべりする座談会 企画!
だいぶ間があいてしまいましたが(ゴメンナサイ!)、第二弾の「不登校の子どもの子育て」についての様子をお届けします。
今回も取材の場所は、松山市東方にあるハーブティーのお店 マダムロミさん。
ゲストには、子どもさんが不登校になった経験のあるBさんをお呼びしました。
仕事を捨てて子どもを取る
先に私の話をさせていただくと・・・私には2人子どもがいるのですが、上の子はひどい喘息で、小4ぐらいまでは入退院を繰り返して、中学校ぐらいまでは結構強い薬を飲んでいる状況でした。
体調的に学校に行けない時期もあって、なんとか中学生になったものの今度は人間関係が苦しくなって。中学は、ほとんど別室登校。高校は、どうにか休みながらでも全日制に通い続けることができて、大学にも推薦していただき、就職もして、結婚もして。やっとやっと、安心な状況になってきました。
「いつ死ぬか分からない」と思って育てた子どもが、今、元気に楽しく生きているというだけで、もう他に何も望むことがないです。
みえさん、心配な時期を長いこと過ごしてこられたんですね。
確か、下のお子さんも喘息持ちだったんですっけ?
そうなんです。下の子は、上の子ほどひどくはなくて入院するほどではなかったんですけど、その分アトピーがひどかったのと、気持ちがデリケートで。小1の頃から、学校へ行きづらくなってしまいました。
まだその頃は情報が全然なかったから、不登校グループに悩みを共有したり、いろいろ教えていただいたりしながら過ごしていたのですが、解決には繋がらず。中学校に上がってからも、「ご飯を食べて、明るくしてくれていたらそれでいい」と思うようにして、ほとんど学校に行かせるのは諦めていました。
そうこうしていると、本人が「通信制の高校に行きたい」というので、行かせたら本人にすごく合ってたみたいで、3年間通うことができました。今は、推薦で娘と同じ大学に通っています。
わぁ〜すごいですね!
ご苦労された期間は長かったと思いますが、その分お二人とも今はしっかり自立されているのですね。
不登校のお子さんを育てられている方は、不安でいっぱいだと思うのですが・・・。みえさんは、不安な時期はどう過ごされていたのでしょうか。
私は、「子どもに時間を使う」と決めてキャリアと経済的発展を諦めたんです。うちの場合、「今日死んでしまうかも」という発作が何度もあったから。仕事より子どもを取る選択をしたんです。
選挙に立候補する頃は、上の子が小学校中学年になっていて。入院もありましたが、「私以外の他の人にも助けてもらえるな」と感じたんです。小学校低学年ぐらいまでは、「私が抱いていないと」という感じだったんですけど。「私の代わりは他にもいる」と気付いた途端、「次行こう!」ってなったんです(笑)
ちゃんとタイミングを見極めている感じですね。
他の方を見ていると、「この子のお世話をするのは私しかいない!」ってなっちゃってる方いますよね・・・。
う~~ん。悩む期間が長いからかな。
お子さん自身の問題を先に心配してしまうお母様に沢山出会いました。一心同体みたいな・・・
我が子が不登校してた頃と比べると、補助が少しできたり、支援の方法も増えてきました。相談窓口では、じっくり話を聞いてもらえて、それが保護者の方の支えになったとも聞いています。不登校に対する社会の認識が変化してきているので、相談対応も以前とは変化しているなあと感じています。
前進してきたとはいえ、あらゆる面で悩みはつきないと思います。
情報の取り方
私の話を先にしてしまいましたが、Bさんはいかがでしょうか?
うちの子も、みえさんの下のお子さんと似ている感じです。通信制の高校に行って、推薦で大学へ行かせてもらいました。
その時には、日本の政治ってすごくしっかりしているなぁと思いました。助けてもらっているなと。
私は、親って子どものことを自分の所有物って考えている人も多いと思うんですよね。他のお子さんにはそうは思わなくても、「うちの子に限って、なんでこういうことになっちゃったんだろうか」と自分を責めたり、「子ども時代にドロップアウトしちゃうと、もうあとから補うことはできないんじゃないだろうか」と不安になったり。だから、親御さんは不登校のお子さんを頑張って登校させようと思っちゃうんですよね。
そうですね・・・。
当然普通に学校に通ってくれるだろうと思っていたら、そうじゃなかった。心配になりますよね。
うちの場合、一旦通学制の学校に入学したんですけど、いろいろあって通信に移ったんですね。
親の想いとしては正直、「普通の人とは違う未来に狭められてしまった」と感じてしまいました。「これから、いろんなチャンスがなくなっていくんだろうな」という想いです。
でも通信制に行って素晴らしい先生に恵まれて、大学へ推薦入学するという道が与えられた。
日本の教育制度や政治ってすごいと思いました。頑張っている子にセカンドチャンスを与えるようにできている。
通信へ行ったらそれで終わり・・・じゃなくて、そこからでも進学の道が開かれているというのは知らなかったので、すごくありがたかったです。
当事者になってみて、いろんな情報を取りに行かないと分からないことってたくさんありますよね。
こういうときに、どのぐらい情報を持っているのか、何を信じてどんなセレクトをするのかって大切な気がします。
私の勝手な想いなのですが、今回の座談会のようなことを定期的に続けて欲しいなと思っています。
不登校で悩んでいる方って、すごくたくさんいて。その方たちって、どこに相談していいか分からないんですよね。不登校で悩んでいる人を全員救うのは不可能でも、たった一人でもいいから救うことができたら。それで十分なんじゃないかなと思います。
不登校をサポートする団体や勉強会をしている団体はいろいろありますが、「ここに行けば話ができる」という場所があるのがありがたいと思っています。
情報の取り方もさまざまですよね。
私は、逆に「リアルの集まりには行かない」選択をしている人も多いのではないかなと思っています。
オンラインのしゃべり場とか、ネットで調べて完結する方とかも、きっと多くなってきているのではと。
そうですね。情報を見つけてから実際に参加するまでって、めちゃくちゃハードルが高いんです。
その会が、半年に1回しかやっていなかったら、そのチャンスを逃してしまったら、また半年待たないといけないわけじゃないですか。
継続して定期的にやっている場所があると、「今回は行けなかったけど、次は行ってみよう」ってなるので、ハードルが下がる気がします。
男親と女親の違い
私はとある不登校サポート団体に、こんなことを言われたんです。
「親御さんが、子どもの感情を泥棒しているよ」って。
「学校に行きたくなくなった」って泣きたいのは子どもなのに、「うわ〜うちの子学校行けなくなった、どーしよ〜〜〜!!!」って親が先に泣く。
誰かにいじめられたとしても、子どもが「あの子に腹が立った」って言う前に、親が「あの子腹立つよね〜」って。親が全部子どもの感情を先取りしてしまって、子どもが自分の感情を何も言えなくなっちゃうんです。
それを聞いて、相当グサっと来てしまいました。
あぁ〜・・・それ、ありますね。
男性と女性の違いもあるかもしれません。子育てに関して、家内と意見が食い違うことがあって。やっぱり男性は、今後どうやって社会と競争していくか、社会のなかでどう生きて行くかって言うのを考えるんだけど、母親は「まず守るのは命よ」という考えなんです。
夫婦で相当衝突しました。
お互いに「自分が絶対正しい」っていう考えでやり合っているから。
母親は、学校や親族からのプレッシャーを受けていたり、どうしても板挟みになってしまうポジションだから、子どもの不登校をきっかけに自分が精神科に通うというケースがとても多いんですよね。
そして、親が苦しんでいる様子を感じ取って、また子どもが辛くなってしまうということも多いです。
そうなんですよね・・・。
先ほど出てきた「感情泥棒」の話もそこで、子どもが親に自分の感情をしゃべれなくなっちゃうんですよね。
「これを言ったらお母さんがまた悲しむ、これを言ったらお父さんがまたあの子の所へ怒鳴りにいく」って想像しちゃって。本当は一番に話を聞いて欲しい親に、何も言えなくなる。
私は、子どもが小1のときは放っておけなくて大変でした。私のストレスが子どもに伝わっていたと思います。カウンセリングにも通いましたが、私が「どうしよう」って右往左往することが、返って子どもを精神的に追い詰められていくのに気づいて。3年生ぐらいから、「学校に行かなくてものびのび暮らしてほしい」という考えに変わってきたのですが、私の行動はやっぱり制限されているので、とにかく預け先が欲しかったです。あの頃は、うまくいかない感じが強かったかもしれないですね。「このまま、ずっと子どもと一緒にいるのかな」みたいな感じ。
でも、子どもって成長するので、慣れていくんですよ。次第に、不登校の子と一緒に散歩に行くような企画や、虫取りをする企画をつくったり、子どもと2人きりにならないような工夫をしはじめました。そんなことをしていくうちに、あっという間に日は過ぎるんですよね。
家事ができないとか、用事ができないとか、仕事ができないとかは放っておいて、「学校の代わりはできなくても、この子が元気でいればいい」と思って。遊んで暮らしてました。
すてきです・・・!
「この子が元気だったらいい」っていう考え方、できそうでできないですよね。
僕はその考え方はできなかったですね。
今休んでもいいけれど、その先は必ず社会に復帰してほしいという希望を持ってしまってたんです。「このままでいいよ」っていうのが、家内の考え方だった。
家内は、絶対泣き言は言わなかったですね。お腹を痛めた人だからできる覚悟なのかな、と。
いやいや、奥様がすごく頑張り屋さんで、能力が高くて、家庭環境もよかったからだと思いますよ。
私は不登校の親御さんをたくさん見てきていますけど、みんながそんな風に頑張れるわけじゃないと思います。子どものこと、社会のことに関心を持たれているBさんとご夫婦だったからこそ、できたんだと思いますよ。
不安とお金
不登校を解決するって、結局は不安とお金が両方かかってくるようになると思うんですよね。
特に進学を考えないといけない時期になると、学校の出席率が少ないとか、成績が低いと、奨学金とか、優秀だから借り入れられるというルートは選択肢からなくなってしまいます。社会に出るための選択肢がほとんどなくなってしまうような絶望を味わってしまう。
学校以外の場所で学力をつけようとするなら、塾とか予備校とか、家庭教師とか。学校に通うのとは桁違いのお金がかかってきますし、カウンセリングや診療内科の費用もかかる。金銭面での心配でも、どんどん疲弊していってしまいますよね。
松山市としての補助はないんですか?
私は今、議員だから、課題を聞いて使える行政サービスに繋ぐか、適切なものがなければ、政策として行政サービスの仕組みをつくることが仕事なんだけど、ご相談をいただいたときに、その家庭にとって、総合的に何がベスト(よりベター)なのかを考えてお話するようにしています。
行政サービスを作ってたら、その子の子ども時代が終わってしまうかもしれない。その子にとっては、今どうするのがいいか、できることはあると思うんです。
私の知り合いは、託児が困ると言ってました。本当は自分にだって一人時間が欲しいのに、でも子どもがまだ小さいと外に出られないですもんね。
デリケートな子どもの託児はなかなか難しい問題ですよね。
人間関係ができていたら頼めるけれど、子どもさん自身が受け入れられるかどうかって難しいですよね。
私は、アルバイトを雇ったりしていました。「2時間一緒に遊んでほしい」とかオーダーして。私も一人時間欲しいし、子どもにも私と違う人とも触れ合ってほしいから。
え〜すごい!
お金がなくても、成長のタイミングは変えられないじゃないですか。
私は、「中学校1年は今しかない」みたいな言葉がプレッシャーになりました。取り返せない気持ちになってしまって。
時間は巻き戻せないけど、後からでも経験を取り返すことや成長の為の代替えになる活動は出来るのではないかと思います。
お金はかかるけれど、結局は自分の家庭内のことじゃないですよね。結局は何にお金を使うかなんですよね。たとえば、旅行に10万使おうとしていたとして、本人は旅行には行きたくなかったとする。それよりも他に大切にしているものがあったとしたら、そちらにお金を使った方がいいなと思っています。
うちの場合、子どもが虫が大好きだったので。大学生にお願いして一緒に虫とりしたり、標本つくったりしてもらっていました。
私は今、議員だから行政としてもサービスの仕組みをつくることは目標としているんだけど、ご相談をいただいたときに、その家庭にとって何がベストなのかを考えるようにしています。行政サービスを作ってたら、その子の子ども時代が終わってしまうかもしれない。今ある要素で、今できることはあると思うんです。
「行政にこういうサービスがないから」とか、「学校が悪いから」と言っても、その時間がその子にとってはもったいないから。
もちろん、そのことを踏まえて、行政サービスを改善していくことは必要なんですけどね。
むちゃくちゃ冷静に人生を俯瞰して見ていますね。
そんな考え方ができたら、楽かもしれない。
好きなことって、やっていると元気になるじゃないですか。子どもを元気でいさせるには、それが一番なんだなと子どもと暮らす中で気付けて良かったと思います。
人間って、我慢の限界を越える状況になったら病気になる以外ないです。
それは大人も一緒。
病気になって、嫌なことや無理ををやめられて救われた、ほっとしたっていう人もいますしね。
Bさんは、当時を振り返って、やってよかったっということはありますか?
私は、自分のできる限りのことはやろうと思って、いろんな人から情報を集めて、いい先生に巡り会えたので。それがよかったなと思っています。
ピッタリのサポーターに出会うことってめちゃくちゃ大切ですよね。
不登校に関するコーディネーターさんっていないんですか?障害を持っている子には相談員さんいるじゃないですか。そんな感じの方はいますか?
相談窓口はいくつもあって、最近は民間のフリースクールが色々できているので、親御さんとか子どもさんが調べて、子どもさんや家庭にマッチしたところに出会える可能性も広がってきていると思います。それでも、それぞれ気持ちにフィットするかどうか難しいかもしれません。親と子でも、考えや気持ちが大きく違う場合も多いと思いますし。
そうですね。親の困りごとを聞いてくれる場所は多いように感じますが、子どもの話をフラットに聞いてくれる場所がないな、と感じました。
ひとくくりに不登校と言っても、いじめられてとか、家庭の問題でとか、理由はさまざまですよね。
松山って、虐待による子どもの不登校がすごく多いみたいなんです。でも表面化されていないので。それをどうやって見つけていくかも課題ですよね。
いろんなパターンがありますよね。ネグレクトとか虐待の問題で子どもが登校しなくなる場合、親は一生懸命なんだけど子どもがデリケートでいけなくなる場合、学校の中でトラブルがある場合、複数の事象が絡み合っていることもあるし。
学校が家庭訪問をするのは、そういう状況になっていないかを確認しに行くという目的もあるんです。
前回の座談会で出てきた「こんにちは赤ちゃん訪問」と一緒ですね。
確認や相談の仕組みはあるけれど、それぞれ子どもや家庭の状況は違う。
だから、一人ひとりが、自分にとって、子どもにとって何がベストなのかを考えて、カスタマイズしていかないといけないんですね。
一番必要なのは、「こうじゃないといけない!」という考え方を捨てて、広く人生を考えていくこと。そういう生き方の事例や、考え方のお手本があると、ラクになるのかなぁと思いました。
Bさんのおっしゃるように、「ここに行けば話を聞いてもらえる」という場所づくりも大事ですね。
子どもも親も、苦しい循環に入ってしまいがちな「不登校」。
仕組みだけではなく、世間のムードや言葉、考え方を大きく変えていくのがいいのかもしれない・・・と感じました。
貴重な意見をくださったBさん、ありがとうございました。
みなさんも、ご意見、ご感想ありましたら、ぜひお気軽にお聞かせくださいね。
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